北海道組 Lecture Series 02 藤本壮介
2009年10月24日 18:00〜 北方圏学術情報センター PORTO

 

 10月24日、北方圏学術情報センター・ポルトで建築学生同盟北海道組主催による藤本壮介氏のレクチャーが、会場に立ち見が出るほどの大盛況の中行われた。藤本氏は「primitive future」というテーマを掲げ、どんな場所が快適なのか遡って考えることなど自身の建築論を自身の作品を例に語ってくれた。

 まず藤本氏は「巣か洞窟か?」という問題提起をした。巣と洞窟は建築の第1歩だが似ているようで違い、巣は住みやすく使いやすい、洞窟は巣とは正反対の性質を持つが、自分なりに場所を見つけ使われていく。空間に様々な意味を見出し、使用者に空間を委ねること、洞窟的に建築を作り出していくのが藤本氏の建築だ。それを発展し、藤本氏は最初の試み「時代の原型の提案」として、階段形状の作品「Primitive Future House」を挙げた。この作品は、35cmというとても汎用性のある寸法や柱などの構造体を細かく配置することにより、曖昧な空間を発生させる。あえて床や段を区別せず使用者に任せることで不明瞭でありながらシンプルなものを狙っていた。余談だが、この時スライドに出された藤本氏作成の模型は精度が高いと感じた。
 2番目に、洞窟の提案の1つ「透明な洞窟」として木材を積み重ねた様な作品「Final Wooden House」を挙げた。この作品は、洞窟の性質を取り出し人工的に再構成しており、材料に木材を使い迫力やオーラを伝えている。ここでも藤本氏は、木材に35cmという汎用性のある寸法を使い、木材と木材の間に生まれる隙間を活用し、使用者が空間を作り出す。ここで私が思ったのが、藤本氏は、大体の空間を使用者に委ねているようだが、トイレやキッチンなど重要な場所はきちんと配置されており、生活に最低限度必要なものは確保されていた。
 3番目に、洞窟の提案の発展形として白いキューブがランダムに配置された作品「情緒障害児短期治療施設」を挙げた。藤本氏は、街にも洞窟性があり、街は日々発見がある場所があると考えた。それを元に、洞窟性と偶然性を求めてこの作品は設計された。藤本氏はこの作品で、意味のないことに効率性があり、ランダムに置いた時と、ちゃんと設計していることがパラレルで一緒であると語った。
 4番目に、3番目の作品で生まれた街の発想で、家が積み重なった作品「東京アパートメント」を挙げた。藤本氏は、家が街、街が家、別々のものではないと考え、魅力的である東京の洞窟性を住宅で実現出来ないかと、連続感を考え設計したという。ここでは事務所に住宅のユニットが散らばった写真で観客の笑いを誘っていた。この時、入居者の募集をしていたが藤本氏は住みたいと思わないらしい。
 5番目に、洞穴のイメージを基に設計し、敷地が海に面した崖にある作品「House O」を挙げた。藤本氏は、海をパノラマで見せようと、多彩な海の見え方を模索し、縦横の見え方や海を見せる角度を設計したという。1mごとに場所の性質が違っており、空間が1つ1つ合わさるように出来ている。ここでは秩序を残したいい加減さ、藤本氏自身も分からない良い空間出来ており、場所の選択性が大事だと語った。
 6番目に、自然の濃くなった部分が家というスタンスで、代表作品である「HOUSE N」を挙げた。藤本氏は、 中と外の関係が曖昧でじんわりと街に溶け込む様が良いと考え、それの説明として廃墟を例に語った。この作品は曖昧さを際立たせるために3つの箱を使い2つの箱より曖昧さを出しているのが特徴的である。ここで藤本氏は、建築は繰り返しているのに発見が絶えないからと建築の面白さを語った。
 7番目に、すみかプロジェクトで設計した「House before House」を挙げた。藤本氏は、日常生活として豊かさがあるものが住宅と考えた。この時のプロジェクトのリーダーである伊東豊雄氏からアドバイスや刺激を受け、のびのびと設計したという。この作品は、山と藤本氏の幼少の記憶からイメージし作られた。敷地内にある木がとても重要で、それが無いと、この作品は成り立たないと語った。この時、木と建物を対比して建築をいくら複雑にしようとも木の複雑さには勝てないと悟ったという。藤本氏がこの作品に、他の建築家と実際に住んでみるという企画で、住んでみると予想外に良いもので、生活して楽しかったことをにこやかに語っていたが、それと同時に自分の作品が自分にとって合いすぎて恐怖を感じたらしい。あと、この作品には欠陥があったのだが、藤本氏はそれでも楽しみが発見出来ると言っており、ポジティブな人だと思った。

 私はこのレクチャーを聞き、藤本氏は謙虚さや会場の笑いを誘うなど大らかさが全面に出ており、少しいい加減な面もあるが理にかなっていると感じた。それに加え、あえて空間に用途を与えずに、設計することは空間に無限の可能性が生まれ、設計者が想定しない用途が生まれることは面白いと思った。

(北海道工業大学2年 青木清平)


 

 京都は十一月末が紅葉の見頃だけど、十月下旬の北海道は旬を過ぎたくらい。肌寒い。もうそろ冬着を出そうとか考える札幌の空の下、北方圏学術情報センターPORTOには、心地良い熱気が溢れていた。受付には長蛇の列ができ、並ぶ人々の顔は、昂る期待と緊張で満ちていた。用意された椅子以上の人入り。形容し難い不慣れな刺激が、心の栄養になってくれることを思うと、期待感はさらに高まる。建築の世界に生きる誰しもが知っていて、テレビメディアにも取り上げられる藤本壮介さんが、今回のレクチャーに来てくれた。さすがビッグネーム藤本壮介。サインを強請る人も見受けられた。

 レクチャー内で印象的だったのは、前回レクチャーの石上純也さんは『プログラム』という言葉を多用していたが、藤本さんは『グラデーション』という言葉が多かったところだ。『白と黒』という対義性ではなく、『白から黒へ』という連続性。
「○≒×」を言葉で表すと、「○と×はほぼ同じ」「○と×は同じと見ていい」、「○と×は近い」「○と×は遠くない」、「○と×は似ている」「○と×は近似値である」、「○と×は接しそう」「○と×は重なりそう」さらに「同じではないが」「ほとんど」「とても」「かなり」「非常に」「めっちゃ」「なまら」「べらぼうに」と言葉を付け足せば、その表現は半無限。意味にさしたる違いはないが、距離感はまるで違う。藤本さんは、半無限の言葉では表現し切れない距離感を、無限の色彩で表現する。
 藤本さんは「House before House」を建築雑誌の中で、“町と家と森とが区別できないような状態まで遡って、原初的な住むための場所を模索している。”と語っている。この“原初的な住むための場所”に、藤本さんは「洞窟」を挙げた。住むために人間が作った「巣」ではなく、住む場所として人間が選んだ「洞窟」。人のかかわりによって機能が変わる、存在の曖昧さ。「椅子」「机」「棚」と役割が決まっているのではなく、「椅子にも机にも棚にもなる」ということ。選択肢を人に委ねるのは、作られた「巣」ではなく、そこにあった「洞窟」ならではの自由度。
 「House O」は、壁で区切らないワンフロアの空間と、縦横無尽に枝分かれした部屋が、居る場所、立つ位置、見る角度によって、ひとつの海を相手に多彩な風景を生み出している。海は、時節を映し時に猛々しく、時に雄大。出す御身は地平の彼方まで無限に広がる。その海に、無限のグラデーションで臨む「HouseO」は、海の色々な表情を家主に見せたいという願いから生まれた。
 「House N」を「毛綱さんの反住器のオマージュ」であると表現したが、ただのオマージュにはしたくなく、そこに自分の色を出したいという。毛綱氏を異端であると表現したが、まるで藤本さんが、自分自身も異端であるとも聞こえるような、そんな言い方だった。「僕の建物は白いものが多いんだけど、最近は白い建物が増えてきてね」と、どこか他人とは違いたい、他人とは別のところで自分を出したい、そんな心の内が垣間見られたように思う。異端という言葉はあまり良い意味に使われないが、藤本さんはもしかすると、異端であることを積極的に楽しんでいる。そういった意味で、毛綱氏は異端であると表現したのかもしれない。
 最近の藤本建築は「9坪ハウス」のような、住宅のスタンダードを目指す感じではない気がした。あくまで挑戦的、かつ繰り返される模索。そのスタンスは、クライアントの夢を叶える建築家ならでは。変革を経ての今のスタイルなのであれば、これからも変わり続ける可能性がある。「自分の建築は自分のためなのではないか」というジレンマを抱えていると藤本さんは言う。試行錯誤の日々、変わり続ける藤本壮介の建築は、これからも人々を魅了していくのだろう。根っこにあるのは、言葉に縛られない曖昧さ。『白から黒へ』の『グラデーション』である。

 充実した二時間。同じ二時間でも、下手なB級映画を観るよりも、はるかに充実した時間でした。ありがとうございました。

(北海道職業能力開発大学校1年 佐久間一路)



レクチャー後の打上げ。「ふじわら」にて。


2010 (c) Hokkaidogumi